大判例

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徳島地方裁判所 昭和62年(ヨ)48号 決定

申請人

徳島県金属機械労働組合

池田船井電機支部

執行委員長

金丸忠雄

右訴訟代理人弁護士

林伸豪

川真田正憲

被申請人

船井電機株式会社

右代表者代表取締役

船井哲良

右訴訟代理人弁護士

高島良一

中筋一朗

益田哲生

為近百合俊

主文

1  申請人が池田工産株式会社従業員の雇用確保について被申請人に対し団体交渉を求めうる地位にあることを仮に定める。

2  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求める裁判

申請人は「被申請人は、(1)池田工産株式会社の受注確保について、(2)同会社従業員の雇用確保について、及び(3)その他右に関連する必要な事項について、申請人組合の求める団体交渉に誠実に応じなければならない。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、被申請人は「本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

第二当事者の主張

各当事者の主張及びこれに対する相手方の認否、反論は、それぞれ仮処分申請書及びこれに対する答弁書及び準備書面に記載のとおりであるから、これらを引用する。

第三当裁判所の判断

一  次の事実は当事者間に争いのないところである。

被申請人は、現代表取締役船井哲良が昭和二七年一一月資本金五〇万円を以て設立した株式会社船井ミシン商会が同三四年五月船井軽機工業株式会社と改名した後に始めたトランジスター組立部門を昭和三六年八月に分離し、これを母体として資本金二〇〇〇万円をもって設立された会社であり、その後増資を繰り返し、各種電機器具の製造販売等を事業目的とし、その資本金は現在三億九九〇〇万円となっている。そして昭和五〇年までに船井商事株式会社、池田船井電機株式会社、徳島船井電機株式会社(以下単に「徳島船井」という。)、那賀川電子株式会社、勝浦電子株式会社などの株式を百パーセント保有するにいたった。池田工産株式会社(以下単に「池田工産」という。)は、徳島船井の池田分工場として、昭和四四年五月に、徳島県池田町の工場誘致奨励条例に基づき開設され、昭和四六年九月一六日に別会社(旧商号は「池田船井電機株式会社」)として独立した。昭和六二年三月一日現在従業員は一〇二名であり、その工場の敷地は被申請人が所有し、工場責任者等の主要なポストはすべて被申請人に関わりの有る人々が占めてきた。すなわち、昭和四四年六月から同四六年七月までは関連企業の工場長であった百代靖夫が工場長を務め、同月から同年九月までは同じく別の関連企業の工場長であった者がこれを継ぎ、昭和四六年九月から同四九年八月までは被申請人の人事部長であった者が代表取締役工場長となり、同四九年八月から同五二年一一月までは被申請人の課長であった竹森健剛が代表取締役となり、同五二年一一月から同五三年八月までは被申請人の取締役であり、被申請人代表者の弟であって被申請人の台湾工場責任者を務めたこともある船井孝英が代表取締役となり、昭和五三年八月以後は被申請人の課長や徳島船井の課長を務めたこともある藤川恵が代表取締役の地位にあった。

申請人は、昭和四五年三月徳島船井電機労働組合池田支部として発足し、昭和四七年三月池田船井電機労働組合として分離独立し、昭和五四年三月全国金属労働組合に加盟し、全国金属労働組合徳島地方本部池田船井電機支部となり、昭和五八年一一月一〇日右全国金属から支部ごと脱退し、直ちに徳島県金属機械労働組合に加盟し同支部となって現在に至っており組合員は九四名である。

徳島船井は、昭和四七年解散を前提として従業員全員を解雇した。そこで、組合(全金徳島地本)は、被申請人を相手方として徳島県地方労働委員会に対し、団体交渉応諾を求めて不当労働行為救済の申立て(同地労委昭和四七年不第七号)をし、徳島地方裁判所に対しても同じく被申請人会社を相手として従業員としての地位保全を求める仮処分申請をした(昭和四七年(ヨ)第一四七号従業員地位保全仮処分申請事件)。地労委は昭和四八年一一月六日、被申請人会社が徳島船井の従業員の労組法上の使用者に当たるとして団体交渉応諾義務を認める命令を発し、地裁も昭和五〇年七月二三日、徳島船井の前記解散は、本社が徳島船井支部の組合活動を嫌悪し、その活動の激しさが他の子会社に波及するのをおそれ、同組合を壊滅する目的、少なくともそれを決定的動機として行われたものであり、徳島船井は実質上本社の一製造部門にすぎず、経済的には単一の企業体とみられるのみならず、現実的にも同社は徳島船井の企業活動のすべての面にわたり統一的に支配しているとして、徳島船井の解散による解雇は本社に対する関係では無効で右解雇と同時に同社従業員の雇用契約上の地位はそのまま本社に継承せられるとの趣旨の判決をした。

その後昭和五〇年一二月一八日被申請人と徳島船井支部との間で和解協定書が交わされ、被申請人会社と徳島船井が同支部組合員を再雇用する旨の和解が成立した。

被申請人は昭和五四年四月二七日、池田船井の全株式を鳥居康三に、徳島船井の全株式についても同日池田孝にそれぞれ譲渡した。組合は、これに抗議し、被申請人の責任を追及した結果、昭和五五年二月八日組合と被申請人との間に、被申請人が鳥居から株式三〇パーセントを買い戻すこと等を内容とする協定が成立した。そして、協定成立の五か月後の同年七月に鳥居に代わって前記竹森、次いで永尾平吉が代表者に就任して今日に至っており、永尾平吉以外の池田工産(昭和五四年二月二七日社名変更)役員はいずれも被申請人の役員もしくは社員あるいは子会社の役員の経歴を有する者である。

池田工産は昭和五七年五月二七日徳島地方裁判所に会社更生手続開始の申立てをし、現在更生会社として操業を継続しているが、更生債権者は被申請人のみである。

二  一件記録によれば次の各事実が疎明される。

池田工産が徳島船井から分離するに際しては、同会社には資材、技術開発、営業部門は置かれず、技術、資材の提供は初めに徳島船井に、次いで那賀川電子株式会社に、さらに大誠音響株式会社に頼り、人事や財務が被申請人の決定に懸かっていたことはいうまでもなく、製造工程の詳細にわたって被申請人の指示を受け、かつこれを欠いては会社自体が存立を維持できない関係にあったうえ、工場敷地の外工場建物及び機械設備等も被申請人が所有し、他に池田工産固有の資産として見るべきもののないことは、現在にいたるも変わらない。

被申請人は、前記のとおり徳島船井や池田船井の株式を譲渡してその経営から手を引く姿勢を見せる一方で、昭和五三年六月に営業販売部門を独立させて船井電機貿易株式会社を設立し、昭和五四年二月には技術資材関連部門を独立させて大東音響株式会社とし、那賀川電子株式会社の技術資材関連部門を独立させて大誠音響株式会社としたうえ、昭和五六年六月に那賀川電子株式会社及び勝浦電子株式会社を大誠音響株式会社に合併し、昭和五九年一二月に船井電機貿易株式会社と大東音響株式会社とを、昭和六〇年六月に岡山船井電機株式会社を、昭和六一年六月に大誠音響株式会社をいずれも被申請人会社に合併し、このうち現在の船井電機株式会社勝浦工場ではコンパクトディスクなど音響製品を、同那賀川工場では製パン器をそれぞれフル操業で生産している。

現在の池田工産の管理職八名の内製造部長栄村輝男は徳島船井の工場長をしていた者、業務部長森本和巳は那賀川電子株式会社の社長や徳島船井の社長を経た者、品質管理課長佐藤義雄は大誠音響株式会社勝浦工場の品質管理課長をしていた者、改善課長益田美資は大誠音響那賀川工場の管理職をしていた者である。

池田工産の労働者は元来徳島船井の従業員として雇用されたものであり(もっとも、同社の従業員採用は、昭和四四年三月ころまで被申請人の採用と判然区別しがたいもので、その後も被申請人の常務取締役が採用を担当したこともある。)、池田船井電機として独立した際も、会社からその旨通告はされたものの、労働者との間に合意があったとか、労働者がこれを承認したとかの事情は見当たらない。

徳島船井とならんで池田工産においても組合活動は盛んであり、昭和五二年七月には組合の徳島県労働組合評議会加盟が決議されるなど活発化の一途を辿り、従来から赤字事業所と評価されていたうえに、被申請人自体の受注状況の悪化が加わりさらに赤字経営が見込まれた折から、臨時社員を対象に解雇が取り沙汰されるや臨時社員の組合が結成され、申請人と合流し、また昭和五三年の年末一時金闘争は昭和五四年にもつれこむ状態であった。

昭和五五年二月八日の協定では、被申請人は池田工産の企業継続、雇用確保について責任を負い、従業員に対し池田工産と共に保証する、被申請人は池田工産との提携関係を強化し、役員の派遣、経営の指導、受注の確保等を行い、経営状態の改善に協力することが合意された。

池田工産の更生計画の実現、ひいて従業員の雇用確保は、被申請人からの電気機器加工品の受注が安定することを不可欠の条件としていたが、現在被申請人は、管財人との協定による協力年限が経過したことを理由に協定の従前同様の条件での更新を拒絶している。そのため池田工産は工場をフル操業することができず、従業員の雇用確保も困難な状況となっている。

三 以上の事実関係に照らすと、池田工産はその経営のすべてを被申請人に依存しており、被申請人とは別個の会社となっているが、両者の間には親子会社以上の緊密な結びつきが存し、池田工産の存続、ひいては従業員の雇用確保は被申請人の意向次第にかかっているといっても過言ではない。してみると、被申請人と池田工産の従業員との間に直接の雇用関係があるかどうかは問題であるとしても、被申請人は池田工産の従業員で組織される申請人との間では少なくとも池田工産の従業員の雇用確保に関しては団体交渉の相手方たる使用者に当たる地位にあるものというべきである。

もっとも、一件記録に照らすと、前記昭和五五年二月八日に成立した協議においては、株式譲渡直後の昭和五四年八月二七日、被申請人が、譲渡に関して申請人の求める団体交渉に応ずべき義務があることを承認した経過をふまえて、池田工産の従業員において被申請人の株式譲渡を認める旨の意思表示をしたことが窺われるが、当時池田工産が被申請人との関係を断って独自に営業を始めることが可能であるとの見通しを支える事情は何もなく、株式譲渡がされた時期と組合活動が特に活発化した時期とが一致すること、協議成立後役員交代が円滑に行われたこと、この間鳥居が池田工産の営業に実質的に関与した事跡が見当たらないこと等の事実が一応認められ、これからすると、右株式譲渡は労務対策に苦慮した被申請人が譲渡に藉口して後始末を依頼した仮装のものであると強く疑われるところであって、団体交渉の相手方となりうるかを判断するについては、決定的な重要性を有しない。

また、池田工産が更生会社となったことにより、被申請人の同会社への経営介入は形式的にはあり得ないこととなったが、一件記録に照らすと、通常の更生会社において問題となる債権者、株主その他の利害関係人の利害を調整する必要は本件においては全く欠落し、再建の見込みも、労働集約性の高い池田工産の場合は、もっぱら人員整理を強力に進める以外に当面の手立てがなく、実際にも管財人は組合の協力を得つつ希望退職を募って来たところであるが、事態を率直に観察すれば、不採算部門の切り捨て、整理解雇を図るために更生手続きを利用しているのと少しも異ならない(被申請人は池田工産を赤字事業所とみなし、昭和五二年以後は恒常的に赤字が続く不良企業と考えていた事実が窺われるが、整理を止むを得ないとすべき事情があるかないかは全くあきらかでない。)。そうとすると、この点も団体交渉の相手方となる資格の有無に影響がないというべきである。

ところで、団体交渉を求める仮処分に付いては、請求権発生の根拠、実行手続き、強制可能性などに種々検討すべき問題があり、これを許さないとする見解もあることは周知である。しかし、緊要の問題につき団体交渉がその解決に極めて有用であることは疑いがないのに、この点の法律関係が労働委員会の判断を常に先行させる仕組みになっていると考えるのは、形式的に過ぎるものである。憲法第二八条、労働組合法第七条、労働委員会規則の各規定を仔細にみると、当事者間に私法上の関係が成立していることを前提していると解する余地が多分にある。ただ、団体交渉を求める事情は事柄の性質上流動的であるから、抽象的請求権と具体的請求権に区別し、期が熟したときを捉えて後者の発生を肯定すると見ることに理由がある。本件については、被申請人が、雇用関係が存在しないとして、一切の交渉を拒否している状況にあるから、抽象的請求権として申請人が被申請人に対し従業員の雇用確保について団体交渉を求めうる地位にあることを定めるのは別として、未だ具体的団体交渉請求権が発生したと認めうる程に事態が固まってはいないというべきである。従って、被申請人が直ちに団体交渉に応ずべき旨の給付を求める部分は理由がないといわざるを得ない。そして、申請人が被申請人に対し団体交渉を求めうる地位にあることを定めるべき緊急の必要があることは、前述したところから明らかである(申請人は、池田工産の受注確保について団体交渉を求めているが、その点は本来経営者の判断に係る事柄であって、雇用確保に関連する限度をこえて交渉の対象とすることは許されないものと考えられる。)。

よって、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官曽我大三郎 裁判官栂村明剛)

別紙団交応諾の仮処分申請書〈省略〉

別紙答弁書〈省略〉

別紙準備書面〈省略〉

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